ごたごた
あらゆることをおもしろいと思えない。
いや、おもしろいとは思えるのだが、本当におもしろいとは思えていない気がする。
色々考えたいことがあるのだが、思考をどのように進めたらいいかわからない。
アウトプットしたいけど、どこにアウトプットしたらいいのかもわからない。
もっといい感じにアウトプットできるシステムがあったらなあ。
なぜツイッターではだめなのだろう。なぜインスタではだめなのだろう。なぜブログではだめなのだろう。その理由なしにアウトプットできないと言ってるなら、私は一生アウトプットできないだろう。
なんで農業をやるのかということについて、しっかりと言語化しなければいけない気がする。
東京ドームの選考は、一次面接落ちになりそうだ。私はもうダメだ。いや他の学生達が出来すぎなんだ。私がダメなわけじゃない。
もちろん出来すぎた人達は一部の人に過ぎないのだと思うけど、論理的に話すこととか一体どこで身につけたんだろう。
私だってそれなり真面目に、というか他の人達より意欲的なぐらいには学生生活を送ってきたと思うけど、就活に受かる人間には全然ならなかった。
だったらもうそっちの道には行きたくない。
元々行きたくないし、私が適合してないならそれまでの話だと思う。
私は自分を無理に変えるほど悪い人間ではないと思うし。
自分を変えるぐらいなら自分らしくいれる方を選びたい。
あ、今ここではじめて自分らしくという言葉の意味がわかった気がする。うん。
農業に従事する
久しぶりにブログ覗いたら全然続いてなかった…
何だか文章を書かなきゃいけない気がして。ここ数ヶ月、所謂就活をしている訳ですが、めぐるましく自分の考えが変わっていて、ついていけてません。
なんと言えばいいか、なんだろうな、なんか。
こういう時って色々な要因が重なって一つの結論に行き着くから。まあこれをちゃんと整理して伝えるのが大人っていうやつなんですかね。
就活が無理だったというのもあるし、コロナで世界が今までのようにはいかなくなったというのもあるし、ずっと興味を持っていたというのもある。農業をすることにしたのは。
就活。言語化の練習だと思ってがんばろうとしたけど、出来なかった。
必ずしも正しいことでなくても、全力で取り組めば自分を成長させてくれるということがあると思うけど、結局既にそれではないなと分かっていることのためにがんばれないんだよな。
嘘をつくこと、多少盛ること、建前、本当に必要なのかがやっぱり分からない。
確かに私はコミュ力がないし、人を説得したり、アピールしたりすることが苦手だけど、無理に変えればそれでいいのだろうか。なりたい私は私なのだろうか。
仕事のできる人間が集まる企業で、私が活躍している姿はどうしても想像できなかった。
むしろ上手くできないくせに無理してそれらしく振る舞おうとしている私が可哀想に思えた。
私無理やり変えるほど悪い人間ではないのでは?
元々私はライブエンターテインメントに関わりたかった。エンタメを作りたかった。エンタメのことを誰よりも考えているのは私だと思っていたから。
コロナ以後は元通りには戻らない。新しい形を探って行かなきゃならなくなった。
私の大好きなテーマパークも、コンサートも、演劇も、今後ビジネスとしてやっていけるとは思えなかった。
私は大好きだから、リスクを背負ってでも足を運ぶ。今までもそうだった。
でも特に好きでもない人がそこまでするだろうか。体の弱い人や歳のいった人に、是非来てくださいと呼び込めるだろうか。できないなと思った。
あの土地がある限りオリエンタルランドはなくならない、地理学の教授が前にそう言っていたが、その土地に価値がなくなる未来が見えてしまった。それはもっとずっと先かもしれないけど、ディズニーランド は永遠ではないんだなと正直思った。
農業は密にならない。野外だし、広い。
ここでなら人と人が離れていても、一緒にいられると感じられるのではないか。
人と人が一緒にいても、息苦しくならずに済むんじゃないか。
そういうところに可能性を感じた。
親は急だと言うが、実は以前から農業にはなんとなく関心を持っていた。高校受験、大学受験という節目を迎える度農業やろうかなと考えていた。それは逃げでもあったが。
高校の卒業旅行では海で遊んでる人たちを横目に農業体験をした。
大学一年の時には自給自足生活を送り、休学中には住み込みで農業アルバイトをした。
叔父の農園の芋掘りも手伝わせてもらった。
なんとなく自分には農業が合っているんじゃないかなと思ってた。
友達が都内の洗練された店で美味しい肉を食べていようと、お洒落な服来てオフィス街を歩いていようと、私は髪を雑に結いてほとんどノーメイクで農業していたいと思った。
私に似合ってると思うのだ。
そして何よりそういう自分は好きな気がする。
私は何にでもなれるけど、でも選択の一つ一つは大切だと思ってる。いくらでも自由に選択できる訳だけど、それはどんな選択をしてもいいことにはならない。
一つ一つの選択が自分を形成する、否応にも。
だから私は農業をやりたい。
バンコク物語Ⅳ〜3日目〜
3日目の朝は早かった。
水上マーケットとアユタヤを巡るオプショナルツアーがあるからだ。
このツアーにしたのは、水上マーケットに来るのは大体がツアー客で個人では行きにくいということと、アユタヤは自転車などでもまわることができるが、この時期とても暑いしバテてしまいそうで、ツアーなら楽だし安心だと思ったからだ。
集合場所は近くのホテル。
出迎えてくれたのはフレンドリーなおじさんだ。
他に8人(日本語のツアーなので皆日本人)が来て、計10人で大きめの車に乗って出発した。
最初に向かったのはココナッツの工場。
これはツアーだと大体寄るところで、お土産とトイレがある。
昨日のこともあったし、トイレは本当に重要だ。ツアーガイドの人がここはトイレ行っていいとか親切に教えてくれた。
ここは、ツアーについてくるお土産を買う兼休憩の場所と思っていたが、予想より楽しかった。
ただカードが使えないのでもうすこし現金を持っておけばよかった。
そしてバスに乗り込み次は水上マーケット。
水上マーケットは最初に電動ボートで入って、その後手漕ぎボートでショッピングができる。
手漕ぎボートはオプショナルなのでいいかなと思っていたが、ガイドの方に半ば強制的に参加させられた。
現金をあまり持っていないと言ったら、なんと貸してくれた。しかも両替するの大変だから日本円でいいという。優しい。この人、どこへ行っても会う人会う人と話している。
さらに自分は関係ないのに観光客に買ってもらおうとしている。
優しくて、自由でいいなあと思った。
で、水上マーケットだが、とても楽しかった。
ディズニーランドのアトラクションみたいだけど、ディズニーランドのアトラクションのような安心感はない。
電動ボートでは、容赦なくスピードを出す。
水は汚いが多少かかる。
でもこんなん日本では絶対に体験できない。
船に乗っていると、ここに住んでいる人たちも垣間見える。
水上マーケットって、今や観光客のための場所のようで、船に乗っているのはほとんどツアー客で、一種のアトラクションのようだが、ディズニーランドとは違うのは、ここが生活の場であるということだ。
私は少し違和感を感じた。
人々の住処にお邪魔しているのに、ガイドに案内されるまま船に乗り、カリブの海賊で海賊たちを見るように、現地の人々を見る。
そこに住民はいるのに、彼らとは一切関わらず、マーケットと言いながらものも買わず、ただ船に揺られて外から眺める。
観光客と現地の人との間に大きな壁がある。
日本で観光している時には感じなかったことだ。
私はタイについて理解したいという思いを持っていたが、観光は楽しむためのものであって、知ることには必ずしも繋がらない。
観光では表向きのことしか知れないのかも。
でも、考えてみたら当たり前かもしれない。
観光客と現地の人には一種の上下関係がある。
観光客はお金を持ち、現地の人はお金を落として欲しい。
だから現地の人に馴染まなければ本来の姿を知ることは出来ないのだろう。
しかしそこには危険が伴うから、観光で遊びに来てるなら仕方がないのかもしれないが、少し寂しさを覚えたのだった。
そして次はアユタヤへ。
本当はたくさん遺跡をめぐりたくて、ツアーを躊躇したのだが、結局このくらいでちょうどよかった。
スリにずっと気を付けていた。
そしてまたちょっと怖い車に揺られ、送り届けてもらいました。
その後またマッサージ行ったんだっけな。
渡したチップが申し訳程度すぎてマッサージしてくれた方に笑われた気がする。何話してるのかはわからないけど。けちですみませんでした。
ずっと綴るの途中で止めていたので、すっかり記憶がなくなってしまいましたが、初めて行った海外は不思議な開放感に満ちていました。
母と一生懸命色々調べながら、色んな人に聞きながら弾丸で回って楽しかった。
あの独特の雰囲気、あの新鮮さ、母と行けたこと、忘れない。
バンコク物語Ⅳ〜2日目〜
もういつの話だよって感じですが、2日目いきます。
バンコク旅行中日です。
たったの二泊三日だったので、詰め込みましたよこの日に。
ここでバンコクの観光地のほとんどに行くので楽しみにしててください。長くなりますよ。
朝、まず宿のご飯をいただきました☺️
バナナを春巻きみたいに包んで揚げたものと、食パンにガパオのひき肉を乗っけたもの。
どちらもお味がちょうど良くてとっても美味しかったー
まず向かった先は船。目当てはバンコク三大寺院、ワットポーにワットアルンにワットプラケオ。
これらは電車の駅からは遠く、川沿いにあるため船で行く必要がある。
バンコクでは、電車が網羅しているわけではもちろんないので、船がたくさん利用されている。
現地の人たちが利用する船はとても安そうだが、私たちが船乗り場に行くと、すかさず観光客用の船に案内された。
私たちもお金を落として当然だと思うので、されるがままに船に乗せられた。
あと、観光客が周りにたくさんいるとなんだか安心する。
バンコクは観光地だが、やはり当たり前だがアウェーだ。
三大ワットを見て、、、
お昼ご飯を食べて、、、
適当なところに入ったのだがこれがとても美味しかった。値段は高め。
この後の目的地は少し離れたところにある宮殿。そこへは電車も出てないのでタクシーで行くことにした。タイのタクシーはとても安いのだ。私はそろそろトイレに行きたかったのだが、どこも混んでいたのでとりあえず向かうことにした。
タクシーをキャッチするの、慣れてなくてドキドキ。
なんとかつかまえて、乗り込んだ。
しかし、目的地を言っても全然通じない。
どうやら知らないようだ。
その後3台ぐらいつかまえて尋ねたが、みんな分からないという。
トゥクトゥクの人なら知ってるだろうと思ってつかまえたが、やっぱりわからないと。
え、そんなにそこマイナーなとこなの?!
タクシーの運転手さんって街を把握してるんじゃないの?!
あとに調べたことによると、バンコクの運転手さんたちは、行きにくいところを聞かれると面倒くさくてわからないふりをするそうだ。
たしかに、時間をかけて面倒くさいところに行くより、人の多いテリトリーでたくさんつかまえるほうがいいよね、、。
その頃私たちは大ピンチである。
歩いて行くには遠くて、タクシーはない。
あとは、、バスだけである。
近くにバス停があったので向かった。
、、、本数が多い。
え、どれ?
もはや英語表記などされていない。
すぐにバス停の案内みたいなお兄さんに聞いた。
この人もその宮殿を知らないようである。
しかしこの人近くにいた警備員に尋ね、調べてくれた。ちょっとガラ悪そうなのに優しい。
そしてバスのナンバーを教えてくれた。
たがこれ一体いつ来るのだろうか。
私と母は不安になった。
待っても待ってもこない。
私はトイレに行きたい。そろそろ限界を迎えていた。
とりあえずトイレがないか、周辺を探しに行った。しかし、なかなかない、、。
もう歩いて行くか、と言いながら元のバス停に戻ると、
なんと来てる!!!!バスが!!!
私たちは走った。お兄さんもこれこれ!と言ってくれている。
無事乗り込んだ。よかった、、。
どこで降りるかもよくわからないので、早速運転手さんに聞いた。聞いておけばそのタイミングで教えてくれるだろう。
とは思いながらもやはり不安な私たち。
一度確認。まだだと言われた。
その運転手さんは、ちゃんと降りるタイミングを教えてくれた。
タイの人たち、微笑みは少ないけど、実は親切なんだな。
あまり笑わないのは自然体ってだけで、自然に当たり前のように親切にできるっていうのがすごいことだと思う。
私もこうなりたい。
無事着くと、まずはトイレを探しました。
ありました、公衆トイレが。簡易的なものです。初のトイレットペーパーが無いトイレ。でも結構清潔でした。安堵感。
宮殿は綺麗でした。ヨーロッパに行ったことないけどヨーロッパの建物みたい。
この後覚えてないな。
ガパオライス食べに行ったんだっけな。
その前にマッサージだっけ。
忘れちゃったけどそんな感じ。
日が暮れてガパオライスのお店(結構有名)目当てに街に行くと、乞食の方が見受けられた。障害を持っていると生きていくのが難しい社会なのだということが見て取れた。
奇跡のレッスン
今日、NHKの番組、「奇跡のレッスン」を見た。
有名な先生が来て、子供達に「奇跡のレッスン」をするという番組。今回はミュージカル編だった。
レベルの高い神奈川県の大船高校の演劇部にやって来たのは、コーラスラインのオリジナルキャストを務め、去年のトニー賞では特別賞を受賞したバーローク・リー。
選ばれた楽曲は、「コーラスライン」より「モンタージュ」。
有名な「ワン」ではなく、なぜこの曲なのか。
この曲のテーマは、思春期だ。
16から17歳になるころ、皆それぞれが壁にぶつかる。
今まで人気者でなにもかもうまく行っていたのに、将来が不安、体のコンプレックス、親の束縛、、。
この高校の子供達も、コーラスラインの登場人物たちと同じように、それぞれが悩みを抱えていた。
バークリー先生のレッスンとは、この曲を練習することを通して自分を見つめ直し、新たな一歩を踏み出す背中を押してくれるものだった。
この番組の、何がこんなにも私の胸を打ったのだろう。
先生が特別すごいことを言ってるわけではない。夢はどんな夢でも持っていいというシンプルなメッセージだ。
子供達も特別ではなく、私と共通部分もある等身大の子達。
でも、先生も子供達もとにかく歌が、踊りが、演技が好きで、きらきらしているのである。
そして、私も大好きなのである。単に歌と踊りと演技が好きなのではない。それらを練習し、磨き上げていく過程が何より好きなのだ。
だから、私はミュージカルのサークルを設立した。
舞台を作り上げるということを、もう一度したくて。
別に、ミュージカルスターになりたいとかではない、ただ、舞台に立って別の私になりたい。
そして誰でも舞台を楽しめたらいいなと思って。
でも日本って、他の国に比べて演劇に対する敷居が高いように感じる。
日本人の多くは恥ずかしがり屋で、演劇をやる人は目立ちたがり屋な一部の人たちというイメージがあるのではないか。
しかし演劇とは、単に見せるだけでなく、自分を見つめ直すことのできるものだと私は常々思っていた。
この番組は、そんな私の考えが間違っていないのだと確信させてくれた。
子供達は、皆がこの経験を直接活かせる職業につくわけではないだろうが、この経験が無駄ではないことは明らかである。
そしてバークリー先生は、彼女自身アジア人でありながらブロードウェイで活躍した才能あるすごい人でありながら、ミュージカルをやることに対してハードルを一切つくらない。
子供達と先生が教えてくれた。ミュージカルって誰でもできるものなんだ。
日本だとミュージカルをやる人なんてごく一部の人だけだから、つい後ろ目を感じてしまう。
でも自分を発散することって、なによりも楽しいことだと思う。
得意不得意を気にすることじゃない。自分がやりたいかどうかだ。
やりたいものは、誰だってやる権利があるんだ。
当たり前だけど、生きているとつい忘れてしまうことを、この番組はストレートに訴えかけてくれた。
一生分泣いて笑った『きっと、うまくいく』
今日は台風、そして衆議院選挙でしたね。
台風で外に出れなかったもので、時間に余裕があったので、今日は映画を観ました。
本当は二本ぐらい観ようと思っていたのですが、一本目で見た映画があまりによかったので、二本目は今日はやめておきます。
その映画とは、『きっと、うまくいく』
これ、インド映画なんです。この映画がすごくいいという評判は聞いたことがあって、ずっと観たかったんです。
まず、題名がいいですよね。
「きっと、うまくいく」
この題名を唱えるだけでなんだか前向きになれるし、インドらしいですよね。インドのことよく知りませんが。
軽くあらすじを説明しますと、インドの工学の名門大学に三人が入学する。
本当はカメラマンになりたかったが生まれた時点でエンジニアになると両親から決められていたため逆らえずに大学に来たファルハーン、神頼みばかりしているラジュー、そして他の人とはずば抜けて違うランチョー。
ランチョーは頭がよく優秀だが、成績にこだわることなく、理不尽な校長や矛盾した教育制度に切り込んでいく。
彼らは寮が同じになり、仲良くなります。
悪さばかりしている彼らのことをよく思わない人が学校には二人いた。
一人は校長。もう一人は、学ぶことではなく良い成績をとることに全てをかけているチャトル。
ある日チャトルはランチョーらにこんな挑戦をする。
それは、十年後にまた集まって、どっちの方が成功しているか競おうというモノであった...。
まず、ランチョーという人が素晴らしい。こんなの好きにならないわけがない。
「きっとうまくいく」と仲間を勇気づける楽観的な性格で、でも頭が良くて、それでいてめちゃくちゃ仲間思い。
でも、私は少し思った。こんな人いるわけない。こんな人になるの不可能だ、と。
私も本当は、いい人になりたいと思ってずっと生きてきた。
両親迷惑をかけたくないし、誰にでも優しく接したいし、間違ったことには間違っていると言いたいし、親しい人が苦しんでいたら救ってあげたい。
でもこれって難しい。自分のことでいっぱいいっぱいだし、臆病だし、そもそも何が優しさで、何が正しいのかもわからない。
ああ、私は、映画とか、漫画とかの主人公みたいな人にはなれないんだなって思うようになった。
でも、この映画を見終えたとき、少し考えが変わった。
彼は言う、「ただ美徳に従え、成功は後からついてくる。」と。
彼は、成績をとるためではなく学ぶために授業を受けていた。
しかしそれだけでなく、良い人間でいられるように努めていたのではないか。
彼はもしかすると生まれ持ったいい人なのかもしれないし、これは私の都合の良い解釈なのかもしれないが、こう考えれば、自分も少しランチョーに近づける気がする。
目先の成功を目指すのではなく、良い人間になれるように生きていこう。
そして何よりこの映画の良いところは、このよく生きようとする働きを受け入照れてくれるところである。
私は今後も何度もよく生きようとして、失敗するだろう。
それでもこの映画は、ランチョーは、私の挑戦がまちがっていないと見守っていてくれる気がするのである。
バンコク物語Ⅲ〜1日目〜
ドンムアン空港からバンコクに行くために、まずバスに乗らなければならなかった。
空港を出てから両替をした方が安いとあれほど言われていたのに、焦って結局空港内で両替してしまった。
それはさておき、慣れない海外旅行に戸惑っていた私と母は、バスに乗るのも一苦労。
何番から乗るかしっかり調べていたものの番号がわからず、近くにいた人に聞いてみても、「あっち」とそっけなくされ、それでもしっかり見回すと目当てのバス停があってなんとか乗り込んだ。
バスの中にいるのはほとんど観光客で、恐らくこれで間違いはないだろう。
ところでお金はどうやって支払うんだ?と思ったのもつかの間、添乗員の女性が小銭を持って満員の中乗客に一人一人、切符と交換に支払いをさせ始めた。
す、すごい、、。無理がある。
しかし、やはり彼女はプロで、抜け目なく一人一人回った。
そして私たちは、電車の駅に近い、モーチットという駅で降りなければならなかった。
やはり正しいところで降りられるか不安だ。
しかしそれは私たちだけではなかった。
恐らくそろそろモーチットという頃、他の人達もざわつき始めた。
中国人もイタリア人も日本人も、みんなでここが多分モーチットだよねと言いながら降りた。
だって、バスは親切に英語で停車駅を表示してくれたりしないから。
ところで、バンコクには地下鉄BTSとモノレールMRTがある。地上に電車は走っていない。
私たちは、タイ滞在時、BTSしか使わなかったが、このバスを降りた時、間違えてMRTの方に行ってしまった。
地下鉄だからもちろん地下に下るのだが、そのエスカレータが、速い、、!
これじゃお年寄りにはきついよ。
ここでタイの適当さを感じたのだった。
そんなこんなでなんとかBTSに乗り、ホテルの最寄駅に向かった。
ここで、母親があることに気づいた。
なんと、泊まるホテルの地図のコピーを忘れたのだった、、!
私たちはwifiを持っていない。
不安に思いながら最寄駅に到着しそうな時、
見えた!
泊まるホテルが、車窓から。
嗚呼、駅近にしておいてよかった。
駅を降りると、圧倒された。これが、発展途上国か。これが、異国。これが、アジア。
車とバイクが秩序なく溢れ、屋台があり、とても清潔とはいえない、どこかでみた異国の風景。
建物はどれも汚く、どこからか変な匂いが漂い、廃墟となったビルが大きな存在感を放っている。
噂通り信号は役割を果たしていない。
圧倒されながらホテルを見つけ、扉を開けると、そこは外の通りとは異なり、安心感があり洗練された場所だった。
よかった。
しかもスタッフはかっこよくて優しい。
口コミがいいところをがんばって選んだだけある。
落ち着いたのもつかの間、荷物を置いたら行くところがある。
それは、ニューハーフショー。
タイはニューハーフがさかんで、その中でもカリプソ・キャバレーはレベルも結構高いんだとか。
エンタメ好きの私としては、見ないわけにはいかない。
そのカリプソ・キャバレーは、アジアティークという、ショッピングセンターのようなところにある。
そこには船に乗って行かなくてはならない。
ネットで乗り方を調べた上で船乗り場に向かったが、
わからない。
船がたくさんありすぎる。
いったいどれに乗ればいいのか。
どうやら、どうやらそれぞれの船に窓口があるのだな。
人に尋ねて案内され、数パーツ払わされた。
無料シャトル船が出てるって聞いたんだけどな。
どうやら有料船も混じってあるようだ。
まあそれは仕方ない。よくわかんないから。
座って待っててと係りの人に言われたが、これどれも同じ船に見えるし、アジアティーク行きの船が分かるのか?!と不安に思ってたら、係りの人がきちんと案内してくれた。
タイの人達、そっけないけど、そこらへん結構優しいのかも。
そして船に乗り込む。危ない。乗り場と船がかなり離れてて落ちそう。
でもこんな汚い水の中に、絶対に落ちたくない。
船はかなり荒く、汚い水のしぶきがちょこちょこかかる。
でもなんか、いいなぁ。こんな大きな川、日本にない。川沿いの建物は、どれも異国情緒溢れている。
顔にかかる風は、生暖かい。
今私、外国にいるんだ。
と感慨にふけりながらアジアティークに到着した。
き、きれい。
日本レベルにきれいなショッピングセンターだ。しかも結構お洒落で趣ある。
お土産屋さんやレストランがたくさんあって、結構充実している。
しかしお土産屋の店員さんは押しが強い。私慣れてないから。
シルクのストールを買ったり、きれいめなレストランで料理を食べたりし、とうとうニューハーフショーの時間になった。
人が集まっている。案内係の方々もゲイっぽい。
中に入ると、なんとも素敵な空間だった。
高級があり、雰囲気が良い。
客席にはテーブルがあり、席に着くとドリンクをオーダーする。
客層は、ほとんど観光客といった感じでファミリーも多い。
大音量でショーが始まった。
なるほど。
質が特別高いわけではないが楽しい。
お年を召した方もいるがセンターの人はかなり魅力的。
前方の男性客は集中攻撃を受けるので男性の方はご注意を。
終焉すると大勢の人に埋もれながら船に乗り込み無事ホテルに到着。
時差など関係なくぐっすり眠れた。
ただし自分の中に不安があった。
今日一日楽しかったが、かなり困惑し大変な一日だった。
タイが微笑みの国ということにも疑問を感じていた。
あと二日間楽しめるのだろうか。